お江と津の歴史 お江と津の歴史 お江と津の歴史

 1570(元亀元)年、姉川の合戦で朝倉・浅井軍は織田軍に敗れ、お江の父である浅井長政は小谷城に戻りました。小谷城を織田軍に囲まれ、そこで長政は自害し、母お市と3姉妹は信長に引き取られました。織田信包に預けられ、信包の居城伊勢上野城、安濃津城へと移りました。
 お江が安濃津城を出た後、1595(文禄4年)富田信高が城主となり、1600年(慶長5年)の関ヶ原戦の前哨戦で西軍の攻撃を受けましたが、和睦し、城を明け渡して高野山に入りました。後に東軍が勝利したので、富田氏は城に戻り、分部氏は1万石加増され、伊勢上野城の城主となりました。
 1608(慶長13)年、藤堂高虎が入府し、安濃津城を津城と改めました。高虎は津城と城下の拡張整備を行い、津のまちをつくりました。
 一方、伊勢上野城は、信包が安濃津城に移ると安濃津城の出城となり、分部光嘉が城代となりました。1619年(元和5)年、当時の城主光信が近江大溝藩に移封となると、伊勢上野城は廃城となり、紀州藩領となりました。